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柿本人麻呂の経歴 [歴史]

昔の飛鳥期の歌よみ人として、活躍した柿本人麻呂ですが、その経歴は意外と知られていません。

日本における歌人の仙人36人に選ばれるほどの歌の名人です。


出身や育ちについては、天皇系の春日家の庶流らしく、子孫達は石見、つまり今の島根県で繁栄したようですが、その資料も確実なものではなく、ただ、兄を柿本、父を大庭とする文献が存在しています。


次に、最も気になる経歴についてですが、西暦の680年ごろにはすでに歌詠みとして生活をしていたようで、宮中の女子がなくなった際の歌も当時の近江朝廷にて詠んだとのことです。

いろんな歴史の教科書に出てくるような有名人との関わりがある説が多いです。たとえば、
賀茂真淵、草壁皇子、持統天皇などとの関わりが書籍によって指摘されています。

柿本人麻呂という名前から見るに、確実に男だろうと思われるかもしれませんが、持統天皇の愛人であったとの説も流れていますが、これは想像の物語であるという意見が有力です。

石見の国にて亡くなったとのことですが、この死すらも自身の演技との見方もあります。
平城京の時代や藤原京の時代には柿本人麻呂の歌が一つも残っていないので、年齢的にもこの時代にはすでにいなかったであろうということは予想できるようです。
しかし、文武天皇系の明日香皇女を想い、詠んだであろう歌があるため、草壁皇子が亡くなった後も都にいたことについては有力視されています。

つまりこの間に柿本人麻呂は亡くなったということですね。

やはり歌詠みや芸術家の人々はその晩年に近くなればなるほど、自らの作品に磨きがかかってくることが主ですので、作品が残ってないということは亡くなったと見る説が有力でしょう。



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